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「教育の満足度」と「長期的な成長」の相関について考える

4月、新年度ですね。新入社員の皆さんは、研修の真っ最中だと思います。今回は、こうした研修での「受講者の満足度」と「長期的な成長」との相関について考察します。短期間で「わかった!」「できた!」と思わせるような研修は、受講者の満足度は高いものの、後であまり役に立たない傾向があります。それどころか、悪影響を及ぼすことさえあります。逆に、受講者の満足度は低いものの、後にその人を大きく成長させる研修もあります。こうしたことは、漠然とイメージできると思いますが、それがなぜ起こるのか、どのような要因があってそうなるのか、整理・考察してみたいと思います。

 

数学なんか勉強したって役に立たない?

わかりやすいので、数学を例に挙げます。数学には、主に二つのタイプの演習があります。一つは、「解法を用いる演習」。もう一つは、「関係性を認識する演習」です。

 

「解法を用いる演習」は、ある解法(公式など)を学んだ上で、実際にその解法を使って問題を解いてみたりするものです。「関係性を認識する演習」は、その公式がなぜ機能するのか考えてみたり、解法や問題を自分自身で作り出してみたりするものです。

 

よく、「数学なんか勉強したって、実生活で何の役にも立たない」という人がいますよね。こういう人は、数学を勉強する時に「解法を用いる演習」ばかり行っていたと思われます。そうすると、テストで点数を稼ぐことはできるのですが、テストが終われば学んだことを忘れてしまいます。勉強した時は、問題が解けようになるし、テストで点数が取れるので満足感があります。とはいえ、テストという限られた範囲でしか学んだことは活かせません。

 

こんな笑い話があります。数学の授業で、先生が代数の説明をしました。「一個150円のドーナツがN個あります。そうすると代金は150N円で表せます」。ひとしきり説明した後、先生がこう質問しました。「こうした変数を使った数式は、どんな時に役立つと思いますか?」。すると、ある生徒が手を挙げて「数学の問題を解く時です」と答えた(苦笑)。

 

しかし、こうした変数を使った数式は、例えば企業経営をする上で大いに役立ちます。よく、「円安が一円進むと利益が〇円増える」などと言いますよね。仕入金額や販売数など、経営に関する数字を変数にして、自社の活動に合致した数式を作り上げる。そうすると、コロナ禍などで急な変化が起きた時でも、その変数を少し変えるだけでダイレクトに今後の推移がイメージできるようになります。これは、「解法を自分自身で作り出した」わけですね。ですから、「関係性を認識する演習」って大切なんです。

 

「予期せぬ問題を解決する」ことが求められている

皆さんも、かつてご自身が数学を勉強していた時のことを思い出してみてください。「解法を用いる演習」ばかりに取り組んでいませんでしたか? まあ、お気持ちはよくわかります。「関係性を認識する演習」って面倒くさいんですよね。「その公式がなぜ機能するのか?」なんて考えるより、サッサとその公式を使って問題を解いていったほうが、話が早いし達成感がある。何より、テストで点数が稼げる。だから、ついつい「解法を用いる演習」を優先してしまう。短期的に見ると、そのほうが効率的なわけです。

 

とはいえ、「解法を用いる演習」と「関係性を認識する演習」は両方とも大切です。バランスよく取り組まなければならない。もちろん、このバランスは生徒本人に任せるだけでなく、教える側もよく考えなければなりません。

 

私が高校生だった40年前の数学教育は、「解法を用いる演習」に重点が置かれていました。そのほうが、当時は合理的だったのです。いわゆる「昭和」の時代は、オフィスでも工場でも「やり方が決まっている仕事」がたくさんありました。だから、公式を学んでたくさん問題を解くような教育が有効だったわけです。

 

しかし、その後、世の中が変化し、働く人たちに対して、当然のように「予期せぬ問題を解決する」ことが求められるようになりました。こうなると、「解法を用いる演習」ばかりに慣れ親しんできた人は対処できません。なので、現在の教育の現場では、昔に比べると「関係性を認識する演習」が重視されるようになっています。

 

もう、お気づきかもしれませんが、このような「解法を用いる演習」と「関係性を認識する演習」は数学だけに当てはまるものではありません。他の教科でもそうですし、社会人向けの教育でも同様です。

 

「ブロック練習」と「多様性練習」

「解法を用いる演習」のように、同じようなプロセスを繰り返し練習することを「ブロック練習」と言います。一方、「関係性を認識する演習」のように、様々な状況に柔軟に対応できるようにする練習のことを「多様性練習」と言います。

 

ブロック練習をすれば、短期的な成績は向上し、本人も達成感に満たされます。研修であれば、受講者の満足度は高くなり、研修講師の評価も良いものになります。そのため、最近の研修はブロック練習を主体としたものが多くなっています。

 

しかし問題なのは、ブロック練習ばかり行って向上したスキルは、短期間で消滅してしまう(忘れてしまう)可能性が高いのです。さらに、その後の成長を阻害してしまう可能性すらあります。

 

米国の空軍士官学校の生徒一万人、教師100人を10年にわたって調査した報告があります。それによると、「ブロック練習を主体とした授業を行う教師」に学んだ生徒たちは、優秀な成績を収め、教師のことも高く評価していました。しかし、その生徒たちは、その後に学んだより高等な分野の成績が思わしくありませんでした。

 

一方、「多様性練習を組み込んだ授業を行う教師」に学んだ生徒たちは、前者に比して成績が思わしくなく、教師のことも低く評価していました。しかし、その後において高い成績を残しました。

 

同様の研究が、イタリアのボッコーニ大学でも行われました。1,200人の新入生を4年間かけて調査したところ、学生の成績を短期間で向上させた教師は高い評価を得ましたが、その後の学生たちの専門分野の成績は思わしくありませんでした。

 

「テスト」と「現実社会」の違い

では、なぜ、ブロック練習を主体にして、短期的に成績を向上させることが、長期的に見るとマイナスの効果を生むのでしょうか? これには、様々な要因が考えられます。まず、本人が「できる、大丈夫だ」と思ってしまい、その科目を安易に捉えてしまう(いわゆる「ナメてしまう」)ことが挙げられます。

 

さらに、シンプルなブロック練習ばかり行っていると、より困難で面倒くさい問題を避けてしまうようになります。わかりやすく言うと、「パッと見て解法が思いつかない問題には取り組まなくなる」のです。皆さんも記憶にあると思いますが、試験で効率よく点数を取ることを考えれば、難しい問題は避けるのが得策です。でも、これが行き過ぎると、「解けそうな問題しか取り組まない」ようになります。

 

テストなら、それでもいいんですけどね。でも、現実社会では問題があります。先ほど申し上げたように、現代のビジネスパーソンには「予期せぬ問題を解決する」ということが、当たり前のように求められているのですから。

 

皆さんの周囲に、このような人はいませんか? 「何かの問題にぶつかると、すぐに答えを欲しがり、どこかにうまい解法がないかと探し回る。そして、答えが見出せない問題は見て見ぬふりをし、やがて問題の存在そのものを忘れようとしてしまう」。

 

すぐに解決できない問題を「抱え続ける」

ここが今回のコラムのポイントなのですが、現実社会で出くわすのは、すぐに解決できる問題ばかりではありません。そうすると、問題から逃げず、また安易な答えに飛びつかず、「問題を抱え続ける」必要があります。しかし、これは不快なものです。その不快に耐えて、試行錯誤を続けたり、ヒントを得ようとアンテナを張り続けたりしているうちに、やがて自分なりの解法を編み出すことができます。長期的な成長には、こうした「問題を抱え続ける」ことが不可欠です。

 

一見すると、「すぐに答えを欲しがり、どこかにうまい解法がないかと探し回る人」と「問題を抱え続けられる人」に大きな違いはありません。しかし、前者は探し回っているだけで、自分の頭で考えることをしていません。これが、長期的に見ると大きな差になるのです。

 

もちろん、何でもかんでも自分で考える必要はなく、日常業務をスムーズに行うために、検索したり周囲に相談したりして、答えを要領よく探すことも必要です。そこは、誤解しないでくださいね。

 

でも、これは笑えない話ですが、ある人事担当者の方が「どうしても上司と合わない」と主張する社員の人と面談をしました。そこで、人事の方が「どういう点が合わないのですか?」と聞いたところ、その人はスマホで「上司が合わないと思う10の理由」というサイトを検索し、「この2番と4番が当てはまります」と答えたとか。今って、検索すれば何でも出てくる時代なんですね。

 

私が研修をやっていても、こうした傾向は見て取れます。例えば、対話力強化講座では、演習で話し合うテーマを受講者の皆さん自身で決めてもらいます。この時、「自分なりにテーマを決めてください」とお願いするのですが、そうするとフリーズする人がいます。「自分なりに」というのが難しいのですね。ごく少数ですが、「具体的に指示をしてくれないと、できません!」と堂々と言う人もいます。自分なりにテーマが決められるからこそ、リアルで実践的な演習になるのですが…。

 

「幼児教育」も同様

話を戻しましょう。「ブロック練習がダメ」というわけではありません。ある程度、解法に慣れてもらう。「できる!」という感覚をつかんで、やる気になってもらう。そのために、ブロック練習は有効です。ただ、目先の評価や満足度を高めたいがために、ブロック練習主体の教育を行ってはならないということです。

 

蛇足ですが、最近よく見られる「幼児教育」もブロック練習を主体としたものが多いとされています。2017年に、アメリカの教育経済学者グレッグ・ダンカンと心理学者のドリュー・ベイリーが67の早期教育プログラムを調査しました。どれも学習成績の向上を謳っていましたが、いずれもブロック練習を主体としたものでした。たしかに短期的な成績の向上は認められるのですが、それはやがてフェードアウトしていきました。

 

でも、人間の成長ってわからないものですね。だからこそ面白いし、希望が持てるとも言えます。新入社員の皆さんは、少しくらい短期的な成績が思わしくなくても、そう気にしないでください。それよりも、困難な問題から逃げず、安易な解法に飛びつかず、問題を抱え続けるようにしてください。そうしているうちに、自分なりの解法を編み出せるようになります。たしかに途中は不快だけど、答えが出せた時の喜びは本当に大きなものですよ。

 

とはいえ、あまり「自分だけ」で抱え込まないでくださいね。周囲の人とも相談しながら、体調に気をつけて取り組むようにしてください。

 

参考文献

「RANGE~知識の幅が最強の武器になる」デイビッド・エプスタイン